バブルの不動産王の現在は!? ツカサグループ社長、丸源社長、千昌夫を調べてみた
- 2021/6/30
- 不動産投資
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日本で不動産がもっとも活況だったのはバブル時代。
そんな時代に「バブル王」と言われた人はその後、どうなったのか?
調べてみました。
日本にウィークリーマンションを誕生させた「ツカサグループ」元社長・川又三智彦氏
ツカサのウィークリーマンションで不動産業界に革新を起こした、ツカサグループの社長・川又三智彦氏。
川又氏は栃木県出身で、21歳の時、実家が営んでいた不動産業の手伝いを始めます。そして25歳という若さで社長に就任します。その後、川又氏は、アメリカの「食器や家具がついて、敷金礼金なしのアパート」から着想した短期賃貸住宅を発案。
これこそが、当時日本にはなかったウィークリーマンション誕生の瞬間でした。
結果的に、中長期的に出張する会社員の間で人気となり、賃貸住宅の新たな形として浸透していきました。その後、川又氏はあらゆる銀行から「融資するからウィークリーマンション事業をさらに展開してほしい」と依頼され、次々にマンションを運営。最終的な融資額は1,400億円超えと言われており、ツカサグループの年商は80億円に昇ったとされています。川又氏は伊豆諸島やハワイに別荘を所有するなど、不動産王としての生活を続けていました。
しかし1990年にバブルが崩壊すると一気に悪化。経営困難に陥ります。銀行からの借金だけが残り、返済のためにウィークリーマンション事業をリーマンブラザーズに売却。しかし2008年にはリーマンショックの影響によりウィークリーマンション事業は倒産してしまいます。
その後、1,000億円以上の借金が残った川又氏は、2010年に自己破産します。そんな川又氏の現在はというと、会津でのまちづくり事業に力を注いでいるそうです。この事業は元々、自己破産の前から20年近く進めていた事業でしたが、東日本大震災の影響により頓挫していました。しかし、破産後、改めて村づくりの重要性が意識され始め、川又氏のまちづくり事業に融資する銀行や、応援する役所が現れ始めたそうです。現在は「人の絆を取り戻す」をテーマに、会津の人々と村づくりを進めているそうです。
栄光の最中だった時代も「村づくり」という、利益目的ではない活動を続けていたことからも、川又氏は「人の役に立ちたい」という気持ちが強い方であることが窺えます。だからこそ、自己破産した後も、川又氏についていきたいと考える人々が消えることがなかったのでしょう。ウィークリーマンション事業は倒産しましたが、今後は村づくりを通じて、人々の役に立つ活動を続けていくことでしょう。
銀座の不動産王と呼ばれた「丸源」川本源司郎氏
銀座の不動産王として富を築いた、丸源の初代社長・川本源司郎氏。川本氏は1932年に福岡の小倉市で生まれます。
大学を卒業後、実家の呉服屋「丸源」を継いだ川本氏は、「今の時代、呉服では儲からない」と考え、飲食ビル賃貸業を開始します。当時は異例だった家具付き飲食店の運営により、順調に事業は拡大。バブル崩壊後、同業他社が次々と倒産するなかでも、丸源は生き残り続けました。その勝因について、川本氏は「銀行の甘い誘いに乗らなかったのが、倒産せずに生き残れた理由」と語っています。どんな時でも堅実な経営を貫いた川本氏は、着実に富を築いていきます。その堅実な性格ゆえか、川本氏は節税にも徹底しており、「節税しない経営者はバカ」と周囲に話していたそうです。1,000億円にものぼる資産を持ち、「私が死んだら持っている資産は国に取られればいい」と話していることから、お金の執着はない方と推察できます。ではなぜ、ここまで納税に懐疑的なのか。少なくとも「お金がないから」という理由ではないはず。ということは、川本氏のスタンス、生き様というほかないでしょう。
順調な経営者人生を歩んでいた川本氏でしたが、2013年、法人税法違反で逮捕されます。その脱税額は10億円にのぼるとされています。この逮捕によってブランドイメージは著しく低下。丸源の経営は急激に悪化します。一時的に釈放された際の記者会見では「脱税はしていない。する必要がない」と一貫して無罪を主張しています。その後、2021年に上告を退ける形で最高裁が決定を行ない、罰金2億4千万円、懲役4年の実兄が確定しました。事件を担当した裁判官は本件に対し「所得隠しの手口は巧妙で、脱税の規模も大きい。経費や売上を都合よく操作し、納税義務を怠った」旨を指摘しています。
不動産王から一気に転落した川本氏。墜落の原因は、川本氏の根底にある「税金を払いたくない」というスタンスではないでしょうか。税金を払うやつはバカ、という言葉を周囲に漏らしていた川本氏。どんな国に住もうが、どれだけ稼ごうが、納税は住人の義務です。それを怠る性格が災いし、このような結果を生んだのかもしれません。
海外不動産にまで手を出した「歌う不動産王」千昌夫氏
「北国の春」や「君が好き」「アケミという名で十八で」といった名曲を数多く残し、紅白歌合戦にも出場した人気歌手でありながら、不動産業を営む実業家でもあった千昌夫氏。世界各国にビルやマンションを設立し、「歌う不動産王」とも呼ばれていました。
さらに千氏は東京都渋谷区や港区に、居酒屋チェーンである「せんや」を設立。総資産は2,000億円以上にのぼったとされ、お笑い芸人のコロッケは千氏の物真似をする際、「金持ってんどー」と叫ぶのが定番になるほどでした。一時期は実業家としての活動が多忙になり、歌手を休業するほどでした。
しかし、バブル崩壊と同時に事業は悪化し、1,000億円以上の借金とともに経営は破綻します。その後も、メインバンクである日本長期信用銀行の破綻に伴い、千氏の借金は膨れ上がっていきました。しかし、その後の東京地裁の裁判の際、千氏が提示した「1億6,000万円の負債を1年間で返金する」と書かれた再生計画書を債権者が承諾し、この膨大な借金のほとんどが帳消しになり、千氏は無事、借金地獄から抜け出すことができました。その後、千氏は積極的にライブ活動を実施し、少しずつ借金を返済していったそうです。
千氏は現在、テレビで見ることはなくなりましたが、歌手活動は継続しており、2019年には新曲「人生に乾杯」をリリースしました。コンサートの実施はありませんが、ディナーショーについては定期的に開催しているようです。
また、2011年には、ジャッキーチェンが発起人となった東日本大震災のチャリティイベントに参加し、2億円以上の支援金を本イベントで集金することに成功しました。
上記のように、実業家としては破綻しましたが、歌手としての活動については、一時期休業はしたものの継続しており、その歌声やパフォーマンス力は高い評価を受けています。アーティストとして成功すると、その名声を利用した事業を開始する方は少なくありません。しかし、事業が長続きした事例は多くありません。事業の失敗により評価を下げてしまい、結果としてアーティスト業にも支障をきたし、表舞台から姿を消す……といった方が多いなか、千氏は実業家としての失敗を乗り越え歌手として活動し続けている好例といえるでしょう。